ストラビンスキー歿後50年 LPジャケット集 1


ストラビンスキーが亡くなったのが197146日、今年が没後50年にあたる。
ストラビンスキーが来日しオケを指揮したビデオが我が家に残っているぐらいだから、つい最近の事と思っている内に、早くも半世紀が経ってしまった。

 LPジャケットから彼の作品を振り返ってみることにしよう。

1.兵士の物語 ストラビンスキー自作自演LP

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CBS/SONY SOCM30

ストラビンスキー自作自演(指揮)のレア版である。
A面には兵士の物語、B面のカンタータ「結婚」はサミュエル・バーバーおよびアーロン・コープランドがピアノ演奏に入っている豪華版。

第一次世界大戦でスイスに移住したストラビンスキーは、1917年のロシヤ革命でロシヤ内の財産をすべて失い、また作品の出版社がドイツであったことから経済的に困窮した。何とか金を稼ごうと、スイス国内の巡業旅芸人一座を企画。その演目として作り出したのが「兵士の物語」であった。

楽器編成がバイオリン、コントラバスファゴットクラリネットコルネットトロンボーン、打楽器の7重奏と小さいのも事情を聞いてなるほど。

アンセルメ指揮で初演1918年(ローザンヌ)。評判は悪くはなかったが、結局巡業には至らなかった。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%B5%E5%A3%AB%E3%81%AE%E7%89%A9%E8%AA%9E ウイキペディア
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%BC%E3%82%B4%E3%83%AA%E3%83%BB%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%BC  ウイキペディア

2.STRAVINSKY 火の鳥

 

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小澤征爾火の鳥

RCA VCS-7099 STEREO
SEIJI OZAWA/BOSTON SYMPHONY;
 SUITE FROM ”THE FIREBIRD” & ”PETRUCHKA”
SEIJI OZAWA/CHICAGO SYMPHONY、”THE RITE OF SPRING”

ロシヤ革命で多数のロシヤ人が亡命し、パリに新しい芸術の開花をもたらした。

バレエリュスの興行主ディアギレフが管弦楽小曲「花火」を聴いて興味をもち、ストラビンスキーに作曲を依頼したのが「火の鳥」であり、1910年にオペラ座で初演されて好評を得た。
さらに1911年には「ペトルーシュカ」、1913年には「春の祭典」が上演されて、ストラビンスキーの三部作が完成した。

小澤征爾指揮、ボストン交響楽団およびシカゴ交響楽団による三部作の二枚組LP。
火の鳥」のピアノパートはMichael Tilson Thomas が演奏している。

 

二枚組で若き小澤の指揮がたっぷり楽しめる。
OZAWAがブザンソン指揮者コンクールで優勝した際、課題曲の5拍子と9拍子でしたっけ、難リズムの並列をきれいにこなし、聴衆の一人が立ち上がって「ブラボー」と喝采したのだが、後に知ったらそれが作曲者だったと、小沢は自伝「スクーター…」に書いている。
5/16,2/8拍子など複雑なリズムが入り乱れる「春の祭典」でも彼の指揮姿がまざまざと目にうかぶのです。

ジャケットはLorraine Fox(1929-1980)の作。1940年代には珍しかった女性イラストレータとして雑誌に活躍。
現在もオークションレコードに多数の作品が登場している。

3.「火の鳥」でジャケットがユニークなLPとして冨田勲「THE FIREBIRD」。

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RCA RVC-2001 STEREO

冨田勲シンセサイザー作品に取り組んだ初期の時代には日本でLPを出してくれる会社がなく、アメリカのRCAで出した「月の光」および「火の鳥」が大ヒットとなって、初めて日本にも受け入れられたことは有名である。その米国版LP.

ジャケットのイラストレーターは何と、手塚治虫 大先生であった。
本LPは高橋敏郎「LPジャケット美術館」100選の一枚に選ばれている。

4.STRAVINSKY 春の祭典 

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CBS SONY SOCL1046  BERNSTEIN/THE LONDON SYMPHONY ORCHESTRA      

ディアギレフが先進的な音楽家たちに作品を依頼してはどんどん上演していたことは前項でも書きましたが、この「春の祭典」は「火の鳥」とは異なりSTRAVINSKYが自分のアイデアで作曲し、DIAGHILEVに持ち込んだようです。
http://matuikom.cocolog-nifty.com/blog/2009/11/index.html

春の祭典は多数の演奏があり、我が家にも何枚かの所蔵があるが、ジャケットで面白いのがこの一枚。
本LPも高橋敏郎「LPジャケット美術館」100選の一枚に選ばれている。

巨大なストラビンスキー神像の前でこれから春の祭典が始まろうとしている。
神官たちが生贄となる女性を囲んで行列は舞台に近づいてゆく。
前景の植物群、大きな青い蓮の花などアンリルソーの「夢」を思わせるが、横たわる女性の腹にたるみが見えるのは画家の風刺でしょうか。
このジャケットのイラストレーターはRICHARD HESS(1934-1996)。雑誌のカバーなどで著名な画家であるが、LPジャケットについての記録は見つけていない。
http://findarticles.com/p/articles/mi_qa3992/is_200201/ai_n9082596

なお、ドビュッシーもディアギレフに依頼されて「JEUX」を上演した(1913年5月15日)ことがあります。 
内容はテニス少女の恋のさやあてという筋書き、それにつけたDEBUSSYの音楽が「牧神の午後」もどきというわけで、これはヒットしないのは当然。レコードも見つかりませんねえ。…で、完全に黙殺されてしまったのですが、そのまさに二週間後の1913年5月29日にSTRAVINSKYの「春の祭典」が上演されて大騒ぎとなったわけです。

http://matuikom.cocolog-nifty.com/blog/2010/01/20100101-312f.html   
http://www.adcglobal.org/archive/hof/1991/?id=224 
http://query.nytimes.com/gst/fullpage.html?res=9D0CE1DA1631F93AA3575BC0A967

5.ストラビンスキーとピカソ

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ANGEL RECORDS 35143  
IGOR MARKEVICH /ORCHESTRA NATIONAL DE LA RADIODIFFUSION FRANCAISE

STRAVINSKYがディアギレフの依頼に応じて書き上げたバレエ音楽のひとつがPULCINELLA。
ペルゴレー ジのSINFONIAからの本歌取りというが、残念ながら原曲は聞いたことがない。1920年パリのシャンゼリゼ劇場で初演。
このジャケットの裏面にはIGOR STRAVINSKY BORN JUNE17, 1882    NOW LIVING HOLLYWOOD CALIFORNIAとありストラビンスキーの生きている頃のLPである。

 

ジャケットはPICASSOのデッサン(1918)。
この頃ピカソはディアギレフ、サティ等とベルエポック芸術運動の中心にあり、1917年には衣装から舞台背景までを担当して「パラード」を上演したばかり。
また、1918年7月にはオルガと結婚し、まともな肖像画を多数残した新古典主義の時期。
ピカソ肖像画には手を強調している物が多いが、このデッサンでもバイオリンおよびボウを握る手に力を入れたことが見て取れる。

いま気がついたが、STRAVINSKY とMARKEVICHはいずれも名前がIGORである。二人が居酒屋に並んで座ったら、お互いになんと呼び合っていたのだろうか。

なおピカソはストラビンスキーの肖像も描いている。この画でもごつい大きな両手が印象的。

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 PHCD157 STRAVINSKY PIANO WORKS   Anatoly Sheludyakov,piano